発症時の状況をお伝えします
プロローグ
私は発症してから医療に繋がるまで3~4年くらいかかりました。ほとんどの人に気づかれませんでした。たまに気づかれてもその人のもとから姿を消していました。
医療と繋がらなかった私は今振り返っても危険な存在だったと思います。
正直言って、そんな過去を振り返るのは気が重いです。無理せず書ける範囲で書こうと思います。
ある日突然、じわじわと
それは突然のことでした。
ママチャリで自転車通勤をしていたら、全身ブランド物でキメている男性が私の前をおしゃれな自転車で走っていました。その時、確信したのです。「私をつけている」と。
不思議ですよね。でも病気でない人も勘が働いてピンとくることってあると思うんです。まさにそれと同じことが私の中で起きました。
私は想像を巡らせます。あんなお金のかかった格好をして私をつけているなんて、資金の潤沢な集団が私をつけている?なんのために?誤解されている?
・・・全く支離滅裂な思考ですが、病気なので、当時は矛盾を全く感じませんでした。
「私はつけられている」これは確信でした。
すると私は町中にいても、いろいろな人につけられていると感じるようになりました。洗練されたスレンダー美女にとか笑。そんなわけないのに。でも当時は、仕事で用事を済ませているわずかな時間でもつけられているように感じたのです。
PCが乗っ取られていると感じたこともありました。某銀行のアクセスがどうしてもスムーズにできなかったのです。PCのプロに遠隔操作でPC内部をチェックしてもらっては異常なしと言われ、でも遠隔操作でPCが自由に動かされる様を見て、余計「実は乗っ取られている、この人は見破れていないだけだ」と確信を深める始末でした。
私はだんだん仕事に支障をきたすようになりました。でも基本一人で仕事をしていたので、会社の誰も私の異常に気付きませんでした。
ただ、私自身は苦しくなっていきました。
自己紹介の記事にも書きましたが、車や自転車や通行人が集団で私の自転車の進路を塞ごうとしてきて、私は進むだけでも精いっぱいだと思い、わざわざ遠回りして職場に向かっていたり、横断歩道を渡っていたら、息子のニックネームをすれ違いざま呼ばれたりとか、ホラーじみたことが日常になっていたので、もう通勤は限界だ、と思うようになっていました。
でも、これらは幻聴や妄想だ、という発想には全く至りませんでした。私は付け狙われている、としか思えませんでした。そこがこの病気の怖いところです。
結局、私は会社を退職せざるを得ませんでした。
まとめ
妄想や幻聴について、書いてみました。実際はもっと酷いこともあったのですが、今日はこの辺で。
私は病気の症状が苦しくて、社会ではもう生きてゆけないと感じました。自分を追いかける組織の正体もわからないし、なんでこんなことになっているかと思いました。この時、もし医療と繋がっていたらと切実に思います。
私は病識が全くなくて、医療と繋がれませんでした。でも夫には「あの人はおかしい」「関わらない方がいい」とか妄想全開でしゃべっていました。でも夫が自発的に私を病院に連れて行ったのは2回だけ、結局4年ほど放置されて、最後は医療保護入院になりました。
「なんで?」と聞くと「嫌がっていたから」。よくよく聞いてみると、夫には精神医療は敷居が高すぎて、どうしたらいいかわからなかったようです。
でも、就労移行支援事業所にいる同病の方と話をしてみると、だいたい半年くらいで医療と繋がっている様子。私は特殊だと言えると思います。
病気を長引かせていいことなんて、何一つありません。危険です。言動に危うさのある人が周囲にいたら、関係性が薄かったとしても何とか医療と繋がるようにしてほしいと思います。
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コメント
旦那さんの気持ちも少し理解できますね。
今があることが何よりもです。更新応援です
コメントありがとうございます。
たしかに夫も奥さんがおかしくなっていくのは怖かったろうと思います。